2010/06/02
外来でふとした拍子に話が弾むことがある。
いつも娘さんと受診される口数が少なく物静かな90歳のおばあさん。
寒さが続いた今年もようやく春らしくなったある日の外来での出来事。
「今日の午前中はどう過ごされましたか」と尋ねると、
大型店に買い物に行ったとのこと。
「何を買われたが?」
「野菜買ったがいちゃ」
「今年は低温で農家は大変みたいですね。野菜も高いでしょ」
「そいがいちゃ、こい小さいトマト、98円もしてびっくりしたちゃ」
脳の衰えは短期記憶の低下から始まる。
病院の外来で三つの品物(例えば、鉛筆と眼鏡と100円玉)を出されて、
覚えておいてくださいと言われ、診察の最後に思い出せるかどうかで
短期記憶の低下を調べられた経験を持つ人もおられるだろう。
今日の買い物の詳しい描写に驚いている私に娘さんが
「お店でいつも計算しとるから私より計算しっかりしとるがです。だから数字にも強いんです」
「えっ、朝市の仕事、今も出とられるんですか?」
「はい、冬は休んでいましたが、また2週間に1回、朝の4時から午前中出てるんです。
休むと、『今日は看板娘はお休みですか』ってお客さんから声が掛るんですよ」
「なーん、計算機使わんもんだから、自分で計算するがや」と手ぶりをつけて得意そうに話される。
「若い時からしとるからね。何もしないで家にいるとしょっちゅうトイレに行ったりするけど、
仕事しとったら夢中になっとるから、すぐに時間がたってしまうちゃ」
高血圧を筆頭にたくさんの病気を持っておられるが、今日は完全に現役の顔。
いつもの受診時とは違うおばあさんの生き生きとした笑顔から、
朝市でお店の顔として元気にお客さんとやり取りする姿が想像された。
「まだ寒い日もあるから、朝の寒さにだけは注意してくださいね」。おばあさんに声を掛けた。
気のせいか、いつもより背中がしゃんとして、娘さんを従えたような雰囲気で診察室から出て行かれた。